2013 年 4 月 8 日

【訃報】フランコ・ビオンディ・サンティ氏が死去

Filed under: トスカーナ — vinovinovino.com @ 11:22 AM

フランコ・ビオンディ・サンティ往年の紳士、フランコ・ビオンディ・サンティ氏が昨日7日に亡くなった。91歳だった。

『ここが私の大地だ (Questa è la mia terra) 』 - 三年前発売されたフランコ氏を取材したこの本のタイトルは、同氏が人生を通して貫いた思いである。2年前に家で起きた事故で体は衰えたものの、自身の根源、ワイナリーや伝統への愛着(「私はここで、ほとんどセラーのなかで生まれたようなもの」など」、ワインの正当性について語ることをやめたことはなかった。サンジョヴェーゼのクローンを厳選しブルネッロを生み出したのは彼の家族であり、ブルネッロはイタリアを代表するワインとなった。

フランコ氏は、人生をそしてモンタルチーノの歴史を変えた世界的成功の不変の“レシピ”を守るため、常に戦い続けてきた。ワイナリーの歴史は、クレメンテ・サンティがモスカデッロをつくり、パリで行われた国際博覧会で特別賞に挙げられた1867年から始まる。第一次世界大戦後、フランコ氏の祖父であるフェルッチョ氏が新しいワインのアイデアを生み出し、1932年ブルネッロは初めてアメリカに送られ、若きフランコ氏は父タンクレーディ氏とともにアメリカへと渡った。「残念なことに私も父も英語を話せず、父が少しフランス語を話せる程度だった」とフランコ氏は語る。「ただ当時は我々にとって市場は小さく、生産本数も1万5千本程度だった。さらに父の哲学は明確だった。“少量のワインを作ろう。ワインが欲しい人は我々を探すことになる!”」

杖、コザック帽、長いコートを着て穏やかに話すフランコ・ビオンディ・サンティ氏は、彼のワインを悪くさせる可能性のある変化に対し、本能的な反感を持っていた。例えば長きに渡り多くのイタリアの生産者たちが利用した225リットルのバリックの流行には全く乗ることはなかった。これについては常日頃、「我々はバリックを必要としない。我々の大地がすでにワインを偉大なものにしているのだから。」と語っており、祖父が購入した大樽を1800年代から使い続けていた。

また彼のワインは素晴らしい長命を誇る。これは『リコルマトゥーラ(公証人立ち会いのもと、顧客がセラーへ古いボトルを持ち込み、開栓して同じヴィンテージを追加する)』という方法で証明されている。ワイナリーのリゼルヴァのなかでも特に偉大なのは1955年ヴィンテージで、アメリカの有名ワイン誌ワインスペクテイターは、今世紀の最優秀ワイン12本のなかの一つに選んでいる。フランコ氏が語っていたように、このヴィンテージはフランク・シナトラのお気に入りで、シナトラはこのヴィンテージ1ケースをアメリカへ運ぶために、飛行機の座席をひとつ多く予約したと言われている。1994年にはイギリスの有名ワイン誌Decanterが、1891年のブルネッロに10点満点をつけた。(当時で103年が経過)

自身の大地を守るためには一歩も引くことがなく、ブルネッロのサンジョヴェーゼ100%という現規定を変えようとした流れにも確固として立ち向かった。ブルネッロ組合のファブリツィオ・ビンドッチ代表は「イタリアワインのクオリティと卓越さのシンボルであった人物が亡くなった。彼は紛れもなく、世界的レベルでブルネッロ・ディ・モンタルチーノの成功に寄与した偉大な人物の一人だ。」とコメントしている。

Source: Corriere della sera

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