2009 年 2 月 24 日

バローロの「芸術家」テオバルド・カッペッラーノ氏が逝去

Teobaldo偉大なバローロの作り手であり、自然派ワイングループ『Vini Veri(ヴィーニ・ヴェーリ:本物のワイン)』の創設者でもあったテオバルド・カッペッラーノ氏が2月20日夜、アルバの病院で亡くなった。65歳だった。同氏は伝統的なワイン製法を忠実に守り、また伯父が初めて考案した“バローロ・キナート”のオリジナル製法を受け継いできた人物である。

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2008 年 7 月 31 日

ジャンニ・マシャレッリ氏が逝去。

今日7月31日午後、イタリアワイン界でも重要な生産者の一人であった、ジャンニ・マシャレッリ氏が亡くなった。51歳だった。

Gianni Masciarelli
ジャンニ・マシャレッリ

今週火曜日に滞在先のミュンヘンで脳卒中をおこし、直ちに病院に収容されたが昏睡状態に陥っていた。マシャレッリ氏はキエーティの小さな村、サン・マルティーノ・デッラ・マルチーナで生まれた。ワインの名前ともなっている彼の妻マリーナ・キュヴェティックとの間に3人の子供がおり、末の子はまだ1歳。その情熱と愛情で「アブルッツォ」をイタリア国内のみならず世界に知らしめたパイオニアでもあった。


2008 年 5 月 19 日

カリフォルニアワインの父、ロバート・モンダヴィ氏が逝去。

カリフォルニアワインの父と呼ばれるロバート・モンダヴィが逝去した。これは5月16日夜、ロバート・モンダヴィ・ワイナリーのスポークスマンが伝えたもので、16日朝、カリフォルニア州ヤントヴィルの自宅で亡くなった。94歳だった。

モンダヴィ氏はナパ・ヴァレーとカリフォルニアワインブームの立役者の一人。1913年にイタリアから移民してきたチェーザレとローザの長男として生まれ、大学卒業後は一家でナパへ移住し、チャールズ・クルーグ・ワイナリーを手に入れた。1959年に父が他界したのちは、母と弟とともにチャールズ・クローグ・ワイナリーの経営に携わり、品質向上のため様々な試みを始めるが、経営方針などで家族と意見が対立、その後1966年、息子のマイケルとともに、自分の名前を冠したワイナリー、ロバート・モンダヴィ・ワイナリーを立ち上げた。

伝統と最新技術を融合させ、高品質なワインを生みだすことに成功した彼は、1979年、シャトー・ムートン・ロートシルトのオーナー、バロン・フィリップ・ロートシルトとともにワイナリー・ベンチャー、“オーパス・ワン”を設立。

またワイン造りとともに、様々な芸術・文化活動を支援してきた彼は、世界一の料理大学といわれるカリナリー・インスティテュート・オブ・アメリカが2007年3月に設立した『ワイン生産者の殿堂』にパイオニアとして、最初の殿堂入りを果たした。また同年8月にはThe California Museum for History, Women and the Artsから、カリフォルニアの精神を表現し、その歴史に名を残す貢献をした人物に与えられる“California Hall of Fame”を受賞した。


2008 年 5 月 5 日

『天使のようなグラッパ職人』ロマーノ・レヴィ氏が逝去。

ロマーノ・レヴィ『天使のようなグラッパ職人』として世界中に知られていたロマーノ・レヴィ氏(写真)が亡くなった。5月1日午後10:30頃、姉リディアが入院している病室の椅子に腰かけたままで、ロマーノ氏を見た医師はまだ眠っているのだろうと思ったほど安らかな様子だったという。

クーネオ県ネイヴェにある彼の蒸留所兼自宅には、世界から多くの観光客のほかにも、マルチェロ・マストロヤンニ、アンドレア・ボッチェッリを始めとする著名人も多く訪れた。

グラッパのボトルのラベルは一つ一つ、レヴィ氏が手書きでデザインしていたことで有名だ。そのなかでも特に貴重なのが、『Donna Selvatica(ドンナ・セルヴァティカ)』を描いたボトルである。彼のグラッパは、前年のブドウの房や種といった残りを乾燥させたものを燃料とし、 銅製の蒸留器に直接火をあてるという昔ながらの製法で造られた。

ロマーノは1928年に生まれた。彼の父親が1928年に興した蒸留所で17歳のときに蒸留酒づくりを始めたが、彼の父セラフィーノは1933年に若くして亡くなったため、母親が会社を切り盛りしていた。そして1945年、ロマーノと姉リディアがその経営を受け継ぎ、多くの人に愛されるグラッパを造りつづけてきた。

彼の芸術ともいえるラベルのひとつには、イタリアの作家クレシェンツォのある一節が引用されている。

『私たちは片方の羽しかもっていない天使だ。だが、もう一人の天使と一緒であれば空を飛ぶことができる。』

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